●書籍概要
辻上 佳輝(ツジガミ・ヨシテル)
1972年 香川県生まれ。
1996年 京都大学法学部卒業。
1998年 京都大学大学院法学研究科修士課程修了。
2001年 京都大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学。
2001〜2002年 京都大学大学院法学研究科助手。
2002〜2004年 香川大学法学部専任講師。
2004年〜現在 香川大学法学部准教授。
著作:「改正民法(相続法改正)の要点整理」『不動産法律セミナー』東京法経学院、2020年「筆界特定の事例研究」『不動産法律セミナー』東京法経学院、2023年(継続中)ほか
「筆界特定制度」が2006年(平成18年)に誕生して17年が経過しました。近年、筆界特定申請は年間約2000件以上受理され、表示に関する登記業務において確実に定着してきた感があります。また、隣地所有者との間で筆界確認の協力が得られない場合であっても,筆界確定訴訟によらずに地積更正登記,分筆登記などを可能にするために利用されるなど表示に関する登記業務の一部となってきており、国民のみなさまと不動産登記制度を繋ぐ架け橋としてなくてはならない制度となってきています。また、筆界特定業務は筆界の専門家である土地家屋調査士にとってはもっとも重要な業務であると言えます。しかし、この間、筆界特定事例に関する研究は十分とは言い難い状態だったのはないでしょうか。法曹においては、最高裁の判決に対する法曹関係者の判例解説書の出版等により裁判所だけでなく、法曹全体での研究がされていますが、筆界特定においても利用者にとってより良い制度となるように、法務局だけでなく筆界特定に関わる者が関心を持ち研究していかなければなりません。
本書の著者である国立大学法人香川大学の辻上佳輝先生は、香川県土地家屋調査士会の学術顧問として、2015年(平成27年)に香川会で筆界特定事例研究会を立ち上げて以来、筆界特定事例の研究を続けられ、研究者の立場から貴重なご意見をいただいてきました。
これまでも筆界特定の事例を紹介する書籍は存在していたところですが、本書は、事例研究の形式で一つ一つの事例について解説を加えるという新しい形態を採用したことが大きな特色となっています。ぜひ本書を専門家たる土地家屋調査士や法務局関係者のみならず、用地買収等に係わる地方自治体の関係者、さらには土地の問題に悩む一般の多数の方々などに手に取っていただき、不動産の表示に関する登記制度及び土地家屋調査士制度が発展充実することを願ってやみません。そして、更に筆界特定事例についての研究が全国に広がっていくことを期待します。
最後になりましたが、今般の貴重な書籍の発刊を実現していただいた辻上佳輝・国立大学法人香川大学准教授、立石寿純東京法経学院社長、香川県土地家屋調査士会の関係者の方々に心より感謝いたします。
令和5年2月
日本土地家屋調査士会連合会
会長 岡田 潤一郎
本書は、私が2016年6月号から数年にわたって『不動産法律セミナー』誌上で連載している「筆界特定の事例研究」シリーズに掲載したものに、加筆・訂正・修正をしたものである。この連載は、連載開始の約半年前に、香川県土地家屋調査士会副会長の横井靖司先生との間でもち上がった企画を、株式会社東京法経学院の立石寿純社長以下、同社の方々が快く受け入れてくださり実現したものである。
数年前に知己を得て以来、横井先生の企画力にはいつも驚かされるばかりであるが、この企画に対する彼の情熱は誠に深いものがあった。また、彼の呼びかけに応じて集まってくださった筆界特定事例研究会のメンバーの方々も、毎回毎回非常に丁寧な検討を情熱をもって継続してくださっている。
本研究会は、香川県土地家屋調査士会の主だった方々で、途中何回かメンバーを入れ替えながら続いている。
本研究会の前身は、日本土地家屋調査士会連合会の指導により、香川県土地家屋調査士会内に設置された境界鑑定委員会である。境界鑑定委員会では、境界問題に関する主だった文献(倉田卓次「境界確定の訴えについて」司法修習所論集1976年1号69頁以下、村松俊夫『境界確定の訴』(有斐閣)など)を読み込み、境界問題の理論を学んでいた。境界鑑定委員会の成果は、香川大学法学部における寄附講座(詳細は、拙稿「寄付講座『土地境界と表示登記』の現状と展望」不動産法律セミナー2014年2月号)や、香川県土地家屋調査士会による司法修習生研修などに結実している。本研究会は、同委員会の跡を継ぐ研究会である。
本研究会は、実際に判断が示された筆界特定事例を研究対象として、誌上では、事案の概要(筆界形成の経緯やその判断の基礎となった資料も含む)、申請人および関係者の主張の概要(必要に応じてその根拠)、筆界特定判断の要旨と結論、主だった資料(公図や事実上の設置物など)を紹介することから始め、その後に、それぞれの判断に問題はなかったのか、事実認定や資料の読解、筆界特定判断、結論のすべてを様々な角度から検討するスタイルで継続している。
研究会は、おおむね月に一度の割合で開催されている。参加者各個人がそれぞれのまとめを作成し、意見を出し合って、非常に活発な検討が行われている。
われわれは高松法務局で判断が示された事例を、1回に数個から10個ずつ読み、検討した。必要に応じて様々な書籍や文献を参照しながら進めている。
そもそも、土地の境界をめぐる紛争は、わが国の国民を悩ませ続ける大問題である。この難問に対して従来用意されていたのは裁判所による境界確定訴訟や所有権確認訴訟等の司法的解決だけであった。平成18年1月よりここに新たな解決方法が追加されることになったのが、本書で主な検討対象としている筆界特定制度である。
筆界特定制度は、土地の筆界の迅速かつ適正な特定を図り、筆界をめぐる紛争の早期解決に資する制度であるとされている。運用開始から10年が経過したこの制度は、日本国民の厚い信頼に支えられ、導入前の予想をはるかに上回る運用がされている。たしかに、この制度を支えるのは、登記官の中から指定された筆界特定登記官(専門性の高い公務員)および土地家屋調査士を中心とする筆界調査委員であるから、国民の信頼が高いことも頷ける。さらに、筆界特定に当たっては、土地の所有者の申請によって関係する周囲の者の意見を幅広く取り入れ、現地を実際に調査してその結果を登記および地図に反映させていくのであり、地図上・机上の理論の積み重ねに終わらないその方法は、利便性とともに信頼性が高くなるのも当然といえば当然である。なによりも地方法務局が利用できる資料は非常に充実しているので、その効果も常に効率的である。
今後もますます筆界特定制度の利用は多くなるであろうし、われわれはこの制度の発展を願ってやまない。
しかし、われわれは本当に筆界特定制度を単純に賞賛し、推進するだけでよいのだろうか。実際に筆界調査委員として事務にあたる者として、または当事者の申請を補助する立場としてこの制度にかかわる経験をした者からは、「本当にこれでよかったのだろうか。ほかに解決法はなかったのだろうか」「事実認定はこれでよかったのだろうか」と誠実に思い悩む声も聞こえた。
筆界確定は公法上の境界を確定するだけにすぎないはずであるのに、この制度が始まって以降、所有権を争う訴訟のいくつかでは、「筆界特定においてこのような判断がされているのだから」と非常に安易に境界や所有権の範囲が決められる事例もあるように思われる(ある情報によると、筆界特定の結果が訴訟において覆される割合は22%ほどであるとされる)。これは杞憂であってほしいが、筆界特定の場では「ここでは所有権の範囲を決めているわけではない。筆界を示しているだけだ。所有権の範囲は裁判所で決めてくれ」という意識が支配し、所有権確認訴訟の現場では「筆界は所有権の事実上の範囲であるから、これを大いに参照すればいい」という意識がもしあるとすれば、互いに無責任な態度で制度を運用しているとの批判も生じうる。
そのような思いからわれわれは、すでに示された筆界特定事例を批判的に検討してみようと思い立ったのである。裁判例は(すべてではないにしても)公開され、判例批評などの形で批判にさらされる。そうして常に緊張感ある判例形成がなされる。しかし、準司法的作用を営むとされる筆界特定の判断は、今までほぼ批判にさらされることはなかった。実際上、土地境界の争いで非常に重要な役割を果たしている筆界特定の判断を、事後的に様々な立場から振り返り、批判的に検討することは、ひいては筆界特定制度の発展に寄与することになるのではないか。それが本研究会を駆り立てるエネルギーである。
研究会では、事案の特性に応じて様々な問題点が検討され続けているが、事例を重ね、議論を重ねていく中で主に争点となるようなポイントもいくつか明らかになってきた。
たとえば、@事例ごとに採用されている証拠の種類や、地図の信頼性が異なること、A筆界を定めるにあたって現況(占有状態)を重視すべきか、それとも公図などを基礎にすべきか、B地図の精度をどれほど重視するか、C土地家屋調査士の日常業務との差異、などである。このような問題をわれわれが共有することも重要ではある。研究会の成果は、香川県土地家屋調査士会の研修等で発表し、また隣県の愛媛県土地家屋調査士会でも発表したことがある。しかし、やはりそれだけではなく、多くの実務家、学生、受験生、筆界特定制度に関心をもつ方々にもこの成果を問うていくべきではないか。そのような思いから、われわれが検討した諸事例のうち誌上で報告すべきものを厳選し、公表することとしたのが本連載であった。
このたびその成果をまとめて出版できることになったので、総論を書きおろし、第2回から13回までの連載に加筆修正した。本書を読んでいただいて、他県、他地域でもこのような企画が立ち上がることを切に望んでいる。
最後に、本書の出版にあたってお世話になった方は数えきれない。私が香川県土地家屋調査士会と関わらせていただいて以来お世話になっている、森和夫名誉会長、故多田努名誉会長、大久保秀朋前会長、久保利司会長はじめ同会の諸先生方、筆界特定事例研究会のメンバーの諸先生方、この企画に興味をもっていただき研究会に参加させていただいた愛媛県土地家屋調査士会の先生方など、非常に多くの方々のご努力とご協力によって、ようやく出版に至ったことに、本当に感謝している。
冒頭に掲げた経緯で、本書の刊行は香川県土地家屋調査士会副会長横井靖司先生がおられなければ実現できなかったであろう。また、京都大学名誉教授前田達明先生には、本書の企画をお話し申し上げた際に、非常に心強い励ましをいただいた。先生のお言葉がなければ、連載を続ける情熱は維持できなかったであろう。
連載および出版に並々ならぬご努力をいただいた、立石寿純社長、山田和秀前編集長、小林道明編集長をはじめ東京法経学院の方々にも感謝しかない。東京法経学院の皆さまがご理解くださり、『不動産法律セミナー』誌上で研究会の成果を公表できることになっていなければ、本書は世に出ることはなかった。
さらに、本書の最終校正段階で、熊本弁護士会和田明大君に素晴らしいアドバイスの数々をいただいた。記して感謝を示したい。
2023年3月
香川大学法学部 辻上佳輝