まず、最初に、私の試験の勉強方法は、完全な「独学」です。途中、通信教育に一度、頼ったことがありましたが、「通信教育あるある」の恒例のパターンにはまり、結局、半年もせずに挫折しました。結局、最後は、独学で合格しました。
果たして、これから受験される受験生に、一つでも、ヒントになるような体験が書けるのか? はなはな疑問ですが、ある中年男が、 8年もかかって受かったという、「遠回りの、遠回り」「紆余曲折」の「七転八倒」の末に、たどり着いた行政書士試験合格という事実を、「反面教師」として、見ていただくことで、少しでも、お役に立てるのではないかと思い、今回、合格体験記を書くことにしました。
「端緒」
私が、行政書士試験を受け始めたのは、 8 年も前になります。当初は、本当によくあるきっかけでした。20代も終盤に差し掛かったころ、就職した仕事にも慣れ、業務で必要な資格を取得する必要があり、その資格をとるための勉強をして、国家資格を取得しました。(その資格自体は、難易度の高いものではなく、 3 ヶ月ほど勉強すれば、取得できるものです。)合格後、 3 カ月とはいえ、その資格を取得するために、卒業後、稼働させていなかった「勉強脳」を使うようになった為、「せっかく「勉強脳」を使うようになったのだから、学生時代に勉強していた法律関係の資格でもとってみようか」と思うようになりました。
大学卒業後、それまでは、「仕事」「趣味」の繰り返しだった生活から、「仕事」「勉強」時々「趣味」というライフスタイルに変更をしました。しかし、「仕事」だけをこなし、あとは、「趣味」という生活が数年続いていたため、勉強開始当初は、なんともいえない憂鬱さを感じていました。それは、学校の中間テストのため、嫌いな教科をいやいや勉強をするような気分に近い感じです。
それでも、過去問を解き、不動産法律セミナーの特集などを参考に問題を解いて、 1 回目の受験で、「宅地建物取引士」に合格することができました。(受験当時は、宅地建物取引主任者)しかし、この経験。これこそが、長く続く険しい道の始まりでした。
「誘い道」
一般的に、宅建に合格し人が次に考えるのが、「行政書士」です。段階的難易度として、この行政書士から、法律系の資格の難易度があがっていくため宅建のあとに、行政書士を目指す人が多いわけですが、ご他聞にもれず、私もまた、「宅建の次は、行政書士」という安易なロジックにはまっていくことになります。
宅建を 1 回の受験で合格したことで、「過去問のみ繰り返す」という勉強方法を、盲目的に信じるようになった私は、案の定、このやり方を 2 年くりかえしました。私の職場は、365日、24時間の業態のため、残業が多く、休みも不規則で、規則正しく勉強時間を確保する、ということが非常に難しい職場環境です。ですので、仕事が終わって帰宅すれば、集中力はとうに途切れているため、勉強ができず、たとえ、ある一日、勉強をしたとしても、そこから、 3 日間、仕事が忙しくなり、気付けば、もう一度、参考書を開いたのは、 4日後ということは、ザラでした。そのため、知識の定着率はきわめて低く、覚えては忘れ、覚えては忘れ、を繰り返す状態です。まるで、穴を掘っては埋め戻すというような意味のない作業を延々と繰り返しているようなものです。
しかし、当時の私に「なにがなんでも受かる?」という気概は薄く、「まあ、受けていればそのうち合格するだろう」という程度の意識しかなかったため、勉強方法をそれほど、深く考えることはなく、例年通りに、時間があれば、過去問を繰り返すという勉強方法を続けていました。ただ、この「一問一答形式の過去問を繰り返すのみ」という勉強方法をとっていた理由には、宅建でうまく通用した、という理由とは別に、仕事が休みの日。朝から、勉強をしても、勉強を開始して10分もすると、ものすごい眠気に教われ、すぐに、寝てしまい勉強が手に付かない。そして、その眠気の中で「基本書」などの、きわめて単調な、きわめて抽象的な、文字の羅列を見ていると、眠気どころではなく、気絶するくらいに「頭の配線」が外れてしまうという状況があり、「一問一答を繰り返す」というスタイルの勉強方法だけが唯一、眠気を最小限に抑えることができる勉強方法だったから。というともあります。
「 3 年目の転機」
そんなことを繰り返していた 3 年目。当然の如く試験結果は、不合格なわけですが、そんな時、あの「大災害」がおきたのです。日本中が震撼した大震災。「東日本大震災」です。私も、仕事中に被災し、のべ 4 日間に渡り、仕事場で泊り込みをしながら仕事をこなしました。その後も半年間にわたり、震災の影響が残り、仕事は混乱を極めました。
その勢いのまま、 4 回目の試験。当然、まともに受験できるわけもなく、不合格。しかし、あの大きな災害を機に、私自身の仕事に対する意識も変化し、あの震災から 3 年間は、自分の仕事に没頭するようになりました。当然、残業時間は、うなぎのぼりになり、反比例するように、勉強時間はなくなります。しかし、記憶の定着が悪いとしても、決して、「勉強する」という習慣だけはなくさないように…と、勉強だけは継続するようにしていました。その時に利用していたのが、「通信教育」でした。仕事中心の生活時間になり、勉強時間が確保できないため、問題集や、基本書は、たまに目を通すくらい。そのかわり、「講義」をMP3プレイヤーに落として、ひたすら「聞く」という勉強法にしました。別に聴覚に意識を集中して「聞く」のではなく、通勤途中などに、「聞き流す」という勉強法です。自己満足に近いその勉強方法を繰り返したところで、合格することはなく、当然、その期間は、不合格が続きます。
「気付き・決意」
気が付けば、すでに年齢は、30代も半ば。20代のころのような、気迫や気力はすでになく、漫然と繰り返すような「仕事」「勉強」「趣味」になっていました。震災以降に没頭していた仕事もひと段落して、心に余裕が生まれてくるようになると、この「惰性」は明らかに悪い方向へ自分自身を導くものだと自覚するようになります。
「これはまずい? あと 3 年で結果がでなければ、すっぱり諦めよう」と決意。そこで、今一度自分自身を追い込んで結果を出す覚悟を決めます。そこにいたるまでに掛かった期間は、なんと5 年。受験回数だけは、すでに、 5 回目になっていました。その段になって、はじめて、自分自身の勉強の仕方を考えるようになります。しかし、独学。しかし、独り身勉強。自力では限界があります。
「教訓と選択」
そこで、不動産法律セミナーの体験記の中の一つに、「六法にかえれ」という教訓がある事を思い出します。試験対策失敗でよくある例が、色々な参考書や、基本書に手を出して、その全てが中途半端に終わってしまう、というもの。どれか一つ。という事がないため、積みあげられるものがなにもなく、時間だけを浪費していくというのは、過去の体験記でも多く語られている経験です。なにか、「中心となる一つ」のものをベースに勉強を組み立ていく方法を考えます。
その場合、「基本書」をベースにするのか、「問題集」をベースにするのか、「六法」をベースにするのか。という 3 つの選択肢があります。そこで、この 3 種類のベースの中で、自分にあったものを中心に勉強しようと考えました。「一問一答過去問」は、それまでで、散々惨敗をきしていたので、まず始めに選択肢から除外します。残ったのは、基本書か、六法。基本書は、網羅的学習が可能な分、冊数が多くなり、勉強するための準備や場所を選びます。期限をあと 3 年と区切ったあとも、仕事の忙しさは変化していませんから、隙間時間や、休みの日などを利用した勉強しかすることができません。そうなると、場所や、準備に時間や労力を使うのは、得策ではなく、合理的には、基本書という選択肢も難しい、と判断しました。結局、 3択の中で残ったのは、「六法」でした。
しかし、六法と、ひとことで言っても、各出版社から多種多様な六法が出ています。この中から自分にあう六法を探し出さなければなりません。数種類の六法を検討して、一番勉強に使えそうだと判断したのは、「早稲田経営出版の行政書士六法」です。過去問と、判例が併記され、出題範囲の法令が載っています。値段的にも基本書を買い揃えるよりは安く済みます。そこで、この六法をベースに進めることにしました。
「 3 年期限」を取り入れた 1 年目
最初の 1 年目に試した勉強方法は、不動産法律セミナー掲載の問題や、解説、過去問などで、わからないところ、間違えた問題の基本的な事柄を「暗記カード」に書き起こすということを始めます。
しかし、この「暗記カード」。今思えば、私のこれまでの、小学校から、今までの試験人生において、ほぼ役にたったことがない勉強法です。そうであるにも、関わらず、今までの失敗を勘案することなく、また、失敗を繰り返してしまいます。ただ、この暗記カードの利点は、ノートのようなものよりも省スペースで済むため、持ち運びは楽という利点だけはあります。
「暗記カード」や「ノート」の、「勉強法あるある」の失敗例として、よくあるのが、暗記カード、ノートを「作る」ことに達成感を感じて、反復性を維持せず、作って終わりになってしまう。という落とし穴です。その落とし穴に見事に落ちた私は、やはり、というか、やっぱりというか、「達成感ジレンマ」の穴に見事にはまり、必然的に「 3 年期限法」の 1 年目も不合格という結果になりました。試験を受け始めてから計 6 回目の受験です。
さあ、残り 2 回。
「 3 年期限」を取り入れた 2 年目
1 年目の不合格通知が届いた 1 月下旬。その結果通知をみて、凹むよりも次をどうするかを考えます。
「さて、どうしようか? 去年と同じことをしてもやはり、結果は大きくは変わらないだろう」と思い、もう一度、勉強方法を考えます。「暗記カード・ノート」法は、やはり有効性にかけると判断。しかし、間違えた問題の基礎知識、判例などを覚えていかなければ知識は広がらない。ということには間違いがないはず。つまり、「書き出し」自体は、必要性があるのです。その「書き出し」のあとの「方法」が間違っているのではないだろうか。と判断しました。そこで、考え出したのが、六法自体に「書き出し」を貼り付けるという方法です。
今までと変わらないじゃないか! という批判がくるのは、重々承知です。しかし、「六法」&「カード・ノート」という、 2 アイテムあったものを、強制的に一つにしてしまうのです。六法の 1 ページの半分ほどの短冊を買ってきて、そこに、六法自体に記載されていない判例や、基礎的な事柄、チャート式の見取り図など、とにかく、調べたこと、解けなかった問題などを「書き出し」ては、「貼り付け」ていきます。それと並行して、「条文の読み込み」をしていきます。
「六法にかえれ」という教訓は、とにかく繰り返し条文を読む。という作業をも、併せ持つものです。そこで、各法律の表題の空いている部分に、「読み込んだ日」と、「回数」を書き加えていきます。その 1 年だけで、憲法、民法、行政関連法は、10回以上の読み込みをしました。この「読み込んだ日と、回数」を書き込むという作業は、達成度合いを見るのに役に立ちます。2 年目の受験が終わったとき、見直してみると、条文の読み込みは、 1 ヶ月によくて、 2 回という結果になっていました。全文を暗記するというのであれば、明らかに不足している回数ですし、「大雑把に覚える」というレベルにしても、少なすぎる回数です。
これらの方法を試しつつ、臨んだ「 3 年期限」の 2 年目。受験開始後、 7 回目の受験も、結果は不合格。しかし、この 7 回目の受験にして、初めて160点台をつけることができました。
合格点まであと14点。あと14点……問題数でいえば、 5 問前後。「見える。やっとゴールが見えるところまで来た」そう感じた 7 年目でした。
確かに、その年の問題は、例年よりも軟化したな〜と感じてはいました。それが、私の実力があがったからなのか、単純に問題がやさしくなったのかは、わかりませんでした。しかし、ゴールが見える位置までこぎつけたという事実は、折れかかっていた心を鼓舞するのに十分なものでした。
「 3 年期限」最後の年。勝負。がけっぷちの年。
8 年目
仕事は、相変わらずの忙しさ。しかし、そんなことも言っていられません。とにかく、結果のみの年。
前年の手ごたえは、決して偽りではなく、歩を進めただけのものと信じて、 2 年目の勉強方法に、さらに、磨きをかけることにします。毎年、11月の試験が終わると、仕事は、年末年始の繁忙期に突入し、まともに帰宅できない日々が年明けまで続きます。やっと一段落するのは、年が明けた 1 月の下旬。そのため、年末年始の 2 ヶ月間の勉強は、ほぼストップするのが恒例になっています。
そんな中、12月の末には、翌年度版の六法が発売されているため、27年度版の六法を購入。仕事がひと段落してから、すぐに勉強を再開です。前年と同じとはいえ、最後の年は、不動産法律セミナーの記述式問題を過去 5 年分のバックナンバーから抜粋。ファイリングして自前の「記述式問題集」を作り上げます。さらに、過去 5 年分の民法、憲法の単元ごとの基礎事項の解説ページをまとめてファイリングした「ファイル」をつくります。 その特集された項目や、科目で、分かりやすく解説されている部分をさらに、縮小コピーなどをして、視覚的にわかるようにチャート式にして、六法へ「貼り付ける」方法も導入。それらの読み返しと、書き込みを繰り返していきます。さらに、去年以上に、条文の読み込みの進め、1 ヶ月で 3 回の読み込みを目指します。 それらを淡々と繰り返し、繰り返しこなしていきます。
そして、春がきて、夏になり、秋になり、ひたすら繰り返しの回数を増やしていきます。不思議なもので、今まで何度もやったことでも、繰り返し、読み返し、読み込みをする中で、疑問点が出て来るのです。断片的な知識の破片が少しずつ、横断的につながるようになり、点と点がつながり線になることで、それまでにはなかった視点が形成されることで、疑問点が出てくるようです。当然、その疑問点は、そのままにすることはなく、調べて、解決すれば、「書き込み」「貼り付け」を繰り返していきます。
この方法を継続的にやった結果、最終的には、試験が終わったとき、使っていた六法は、読み返しによる「シワ」と、「書き込み」、「貼り付け」によって、もとのサイズの倍以上膨らんでいました。表紙は、ボロボロになり、テープで補修をしているような状態でした。
「いよいよ本番」
そこまで、やりこんで臨んだ、今回の試験。
試験日 2 ヶ月前から、会社の同僚には、試験前 1 ヶ月間は、有給を使い倒すと、宣言し、とにかく、時間を作っては、勉強をしました。 8年に及ぶ試験生活の中で、一番時間をかけ、一番力量を入れた 1 ヶ月。そして、去年が、受験生活の中で初めて、試験日前日に休みを取ることができました。
そして、試験日当日。もう、 8 年もやっていれば、緊張もなにもありません。習慣化した「行事」のため、冷静に受験することができます。普通、試験前には、予備校などの模試を受けたりするものですが、私の場合、最初の 2 年間は模試を受けたのですが、ほとんど、試験に役立ったという実感がなかったので、 3 年目以降は模試を受けず、いきなり本試験を受けるようにしていました。模試を受ける効用は人それぞれ、色々あるとは思いますが、受験回数が少ない人が受ける効用の一つには、本試験前に、試験中の時間配分を検討することが出来るということでしょうか。私の場合、 8 年もやっているので、すでに時間配分のテンプレートはできあがっており、あとは、問題を解きながら調整をするようなレベルに達していました。こんな能力は、身に付ける必要もないのですが、惰性が重なると、身についてしまうものです。
しかし、そんな無駄な能力を身に付けていた私でしたが、今年は違いました。最後の年、ということだからなのか、自分でも気付かないところで、緊張感をもっていたらしく、慎重に問題を解くあまり、時間配分が微妙にずれ、試験時間が、 5 分ほど足りなくなることが、試験終了30分前に判明。慌てつつも、決して狼狽することなく、時間調整をして、最後の最後、チャイムがなる直前に、なんとか終わらせるような感じでした。8 年もやると、試験終了後の感覚は、「終わった」のみで、良かろうが悪かろうが「終わったことだから」と一喜一憂しないようになります。
その日は、そそくさと帰宅して、一杯呑んで就寝。
「終わったことはサッサと忘れる」
試験後、数日たち、気分的に落ち着いたら、持ち帰った問題を速報解答で見比べながら答えあわせをしてみます。
××○○○×…………
答えあわせを進めると、明らかに×の数が増えていきます。
「うわぁ〜。駄目だな〜〜だめだな〜」
どんどん気分が落ちていきます。
記述式問題は抜いて、点数表を見ながら概算の獲得点数を出してみると、さらに凹みます。
「駄目だ……届かない」
たとえ記述式問題が、一問あたりの配点20点の半分の得点、各問題10点を取れたとしても、合格基準点に届かない。
この時すでに、期限をきった 3 年目。
「諦めよう」
どうしようもない喪失感に襲われます。
今までで一番時間をかけ、一番集中した今回の試験。
その結果が、不合格という予測可能性を目の前の採点表に現れています。
「諦めたら試合終了です」
この言葉が、信条の一つですが、こればかりは、もうどうにもなりません。
しかし、陰鬱な気分とは、反比例するように、仕事は、加速度的に忙しくなって、年末を向かえ、年が明けて年始になります。
身内にも、「最後の年」と伝えていたので、試験の出来具合を聞かれましたが、
「奇跡が起きない限り受からないね」と答えていました。私自身も、出題ミス、記述問題で飛躍的な点数を獲得しなければ、受からない状態であると思い込んでいたので、諦めていました。
「偶然、必然、起こるべくして」
そして、試験から 2 ヵ月半。試験そのものは諦めて、今後の身の振り様を考えているときでした。夜間、自転車にのっていたら、野良猫の飛び出しを避けようとして、転倒、頭部を14針も縫う怪我をして、
「今年の運勢最悪だな」と、勝手に落ち込んでいたときに、運命の日。 1 月31日がきました。ネットでも、合否確認はできますが、確実に落ちたと、思いましたし、怪我をして、運勢が最悪だとも思っていたので、試験結果をみることもせず放置。ネットで見なくても、 2 月 1 日か、 2 日には、試験通知が郵送されてきますから、そこで否が応でも、現実に直面するのですから、通知がくるまではあえてネットの試験発表は、見ないようにしていました。
そして、 2 月 1 日。月初の繁忙で、帰宅が夜中になり、真っ暗中、郵便受けをのぞいてみると、毎年みる試験結果のはがきが来ています。部屋に明かりをつけてはがきをめくってみると「合格」の文字が……
「!!!!!!!」
信じられません。なんど見直しても「合格」の文字が印字されています。
「違う受験生の結果が届いているのではないか」と思い、棚の奥から、受験問題を引っ張っりだし、受験日当日に机に貼り付けてあった受験番号のシールを元に今度は、ネットの結果発表と照らし合わせてみます。
あります。あります。あるのです。自分の番号があります。
「あった……」
ただ、ただそれだけでした。
「絶対に受からない」とおもっていた試験が、受かっていました。点数結果を見ると、自己採点どおり、法令科目は、かなり厳しい点数で、一般教養、そして、記述式問題の合計点数で、ギリギリのギリギリ、滑り込みのヘッドスライディングで合格ラインにはいっています。
「14針ぬったのは、このギリギリのためか……」と、全く関係のないことでしたが、この「奇跡」的な合格に理由をつけるとすればそれぐらいしか思いつきません。血だらけになった甲斐はあったようです。果たして、この「奇跡」というものが、得点調整によってもたらされたものなのか、実力なのか、はわかりませんが、「合格」という事実だけは、揺るぎのないものです。
8 年間に渡る試験勉強がやっと、終わりました。人生とは、かくも、なにが起こるかわからない。と思い知らされる出来事でした。
「実体験の教訓」
正直、この行政書士試験において、「こうすれば他の人でも共通して試験に受かる方法がある!!!」といえるようなことは何一つありませんでした。あくまでも私見の範囲内ですが……。私が、非効率なのは、百も承知ですので、反面教師にして欲しいと思います。
ただ、巷には、「 3 ヶ月で受かった」とか「仕事しながら受かった」とか、色々な言葉が並んでいます。しかし、それらは、一つの出来事であり、決して誰しもが同じようになるものではないと思ったほうがいいと思います。言葉に踊らされると、大局を見失い、私のように迷路に迷い込むことになります。
数多くの受験者の中には、仕事をしながら、子育てをしながら、介護をしながら……様々な人生の中で、勉強をして、試験を受ける。ということは、決して、試験に集中できる環境ばかの人だけではないでしょう。様々な状況が日々変化し、取り巻く環境が代わり、色々な試練があると思います。挫折もするでしょう。諦めるかもしれません。でも、合格という結果のみに焦点をあわせることなく、「学ぶ」「学び続ける」ということに、軸を置き換えると、試験勉強というものとは少し違うものとして、捉えることができると思います。そして、その試験勉強だけでなく、「法律を学ぶ」ということは、人生という尺度の中では、決してマイナスになることはなく、日々の人生の中で確実に役に立つものであると実感できると思います。
多くの人は、「最短」「最速」、「最適効率」を求めると思います。当然それらは、正しい事です。しかし、私のように、ひたすら回り道をしながらでしか、進むことができない状況であっても、結果はついてきました。誰かにとっての最適効率であっても、自分にとってそうであるとは限りません。百人百様の勉強方法がある中で、試行錯誤しながら合格を目指していくしかないのではないかと思います