平成30年度の試験を 1 回目のチャレンジで合格できました。これも一重に内堀先生、スタッフの皆さん、そして汚い文字でも辛抱強く添削していただいた添削の先生方のおかげです。この場をお借りしてお礼申し上げます。これから書かせて頂く内容は果たして勉強の成果となったかどうかはわかりませんが私自身が実行した内容を書かせていただきます。この中より読者の皆さんが良いと思われる内容を選択いただき勉強を実施していただき合格の栄誉を勝ち取っていただければと思います。
私の受験時の状況を書かせて頂きます。50歳になろうかとしたところで、このまま会社に残るか、退職して新たに仕事を始めるかを悩んでいるところに病気という現実を突きつけられました。病気が発見された時点ではかなり重く、即手術する必要があり闘病が始まりました。闘病中はなにもすることができず、とりあえず宅建士の勉強でも始めようと思い、独学を始めました。約半年の試験勉強の後見事に不合格となり、その後どうしようかと思案しているうちに土地家屋調査士のパンフレットを叔父が持ってきてくれました。独学の勉強では合格できないと思い直ぐに通信教育の手続きをしました。すでに平成29年11月でした。本来なら期間が足らず通信講座の締め切りに間に合わなかったのですが、平成30年の試験が10月に変更されることになり何とかなると判断しました。そして基礎講座からの勉強をスタートさせました。スタートした時点では病気の為に傷病休暇中であり時間としてはフルに活用できましたが、体力が追い付かず、 4 時間勉強することでもやっとでした。そんな状況でも必ず合格してみせる。その思いだけで毎日勉強をしました。
土地家屋調査士の勉強の情報は少なく、YouTubeを観てもそれほど番組は無く、仕方なしに司法書士の番組を観ていました。司法書士では 1 日10時間の勉強をしなければいけないと言われていましたので、土地家屋調査士も10時間必要なのかと思って目標を10時間としました。しかし、この課題は難題で 1 日 8 時間がMAXでした。午前 4 時間、午後 3 時間、夜 3時間の時間設定をしましたが、後で悪い癖が出て、なかなか目標の 8 時間も達成できない日々が続きました。なるべく午前中にやりたい勉強をして、午後は書式の図面を描いたり、YouTubeの動画を観たりしました。そして夜はその日にできなかった科目の勉強をすることにしました。平成30年 2 月には生活のリズムも出来上がり図書館なども活用しました。 通信の対象者で自宅での学習には誘惑(テレビ)があり、後でズルズル時間だけが過ぎていきました。
まず、勉強の手始めとして生活のリズムを立てることをしました。 7 時には起床して、 8 時には机の前に座る。10時に図書館へ、16時に帰宅、20時から23時まで自宅で勉強とスジュールを立てました。57歳という歳で長く勉強などしていなかった(25年前に一級建築士をとって以来)ので机に座っても気が散ってなかなかスタートできませんでした。そこで民法の音声録音をインターネットで入手してとりあえず15分六法を見ながら聞くことを日課としました。そうすることで勉強の準備となりました。このやり方は司法書士のYouTubeでみつけたやり方です。その後午前中は不動産登記、午後からは書式問題(眠くなるので体を動かしました)、夜は民法と進めました。時間がある時は合格体験記を何度も目を通しました。少しでも良い情報がないか探しました。通信教育の場合情報が全く入ってこないので合格体験記は大変役立つものでした。体験記は 3 回読み返しました。はじめは何を書いているのか、どうすればよいのか、全く理解できませんでしたが自分の勉強が進むにつれて書いてある内容を理解できるようになりました。体験者それぞれの方々の内容と自分に合うところのみ線を引いて、取り入れて勉強しました。そして平成30年 8 月の段階で再度体験記を読み込み追い込み、の学習をしました。
ここからはこれまでの具体的な勉強方法の内容について書かせて頂きます。
書式についてはとにかくどこをどう書けば良いのか全く見当もつかず 3 カ月はただ漫然と解答していました。しかし、書き損じた場合、文字の丁寧さ(略字)がどの程度許されるのか。など答練の解答の時に自分なりに書いてみてその添削を待ちました。添削の先生方は丁寧に内容を確認して、修正の方法、文字の見やすさなど都度添削コメントとして教えて頂きました。また、土地と建物の用紙を間違って使ったときにはどうすればよいのかもお教えいただきました。本番ではあってはならないことでしたが、もしもの時の対処方法を知ることができました。用紙の向きも間違った時の対応も別の添削の先生が丁寧に添削をしていただきました。作図中にわからないところは余白に短く質問をしたこともありました。その時も丁寧に返事のコメントを頂きました。
製図については自作の投光板(光を当てて図面を透かして見る)作り、自分が書いた図面と回答の図面との誤差をチェックしました。年齢のこともあり老眼との戦いでした。眼鏡をはずし作図して、眼鏡を掛けて問題文を読み、悪戦苦闘していました。その努力によりだんだん書いている図面の精度が上がってきました。そのころには多少の図面のずれについては先生の添削でのチェックも無くなり自分なりの図面が書けることの自信も答練の添削で実感できました。そうすると、何が必要かを考えてみると、作図の項目に抜けがないことが必要であることに気づきました。そこで語呂合わせで土地と建物の作図チェック項目を作りました。
『ほう(方位)しゅく(縮尺)ちばん(地番)たん(単位)がいきょう(外境界)・・・ピッカリ(筆界点)さんのほう(方位)べん(辺長)はそく(測量日時)たん(単位)びょう(標名)・・・』
意味のない言葉でしたが 2 カ月もすると自分なりの語呂となりスムーズに頭に入っていきました。これにより作図の抜けは最小限になりました。実際試験においては土地で 1 点の座標値を求めることができませんでしたが(通常 2 点を求める問題なので 1 点は必ず解く)、図形はそれなりに書き上げ、 1 座標値と面積以外はすべて記載することができたことが合格の要因であったと思っています。土地において最低はこれだけ書いていこうと考えていました。建物図面は完ぺきを求めて答練での問題を何度も描きました。建物では時間との勝負と考え、ひたすら速く描く練習をしました。建物においても語呂合わせを作りチェックすることにしました。
土地家屋調査士の試験は択一が主戦場と捉えて、『新・合格データベース』(以下データベースという)をひたすら繰り返しました。最近の若い方はカードを作る勉強方法は否定的でしたが、私自身のこれまでの勉強方法はカードによる記憶が一番でした。データベース、答練の問題でできなかった肢はすべてカードに書いて何度も繰り返して頭に入れました。それと平行してデータベースの問題を何度も解きました。その場合、決して民法だけ、不動産登記法だけと偏らない方法を工夫しました。
答練の問題は知らない間に幅広い知識を入れることが出来、決して独学では得ることの出来ない勉強が出来たと思います。結果として択一では18問正解が出来、書式の土地の面積を算出できなくても合格することが出来ました。
答練について書きます。最初の時は本当に実力で解いたまま、提出しました。が、何のための答練なのか、そして毎回成績を送ってくれるのは何かを考えてみました。そして実施したのが択一は教科書、ネット、人に聞く、なんでもいいから正解を自分で探すことにしました。最終的には試験の時に自分で解ければいいのであって、それまでは正解を調べること、正解を知ることが必要であると考えました。そのようにして解答しても上位50名になれずへこみましたが続けました。そのうち 3 度ほど上位に氏名を記載され、とても嬉しく思ったことが思い出されます。良い成績をとることがモチベーションの維持にとてもよかったと思います。
2 回の模試を受けましたが、 1 回目は自宅で、 2 回目は大阪会場で受けました。 1 回目は答練と同じように調べ尽くして解答しましたから上位に名前を連ねることができましたが、 2 回目は会場受験となり本当のその時の自分の実力の成績でした。しかし、今から考えると、その時からの勉強が恐ろしいほど集中できた気がします。よく合格体験記を読むともう 1 カ月欲しかった、と書いてある気持ちがわかりました。平成30年8 月からの2 カ月は集中の度合いは良かったです。この 2 カ月はひたすら暗記しました。前にも書いたように私のような昭和時代の人間はカードでの勉強が学生の時は主でした。ですから択一の問題で出来なかった問題をカードにしてひたすらカードを回しました。そしてデータベースの問題と回しました。カードはどこでも勉強出来ることで病後の私にとって寝たままでも出来ました。
私の場合通信教育であったので、他の方がどのようにしているのか全く分からない状況でしたがYouTubeなどの媒体で情報を入れました。毎月送られてくる添削に愛情すら感じ励まされました。添削だけでなく質問カードはすべて使い切ることを目標としました。はじめは知らないことが多いのでカードを出しやすいですが、終盤となると質問の内容が勉強範囲を超えてしまい、講師の先生から合格してから調べてください。とコメントされましたがその場合も繋がっていることを感じました。
現在は土地家屋調査士事務所を開き少しずつ業務を開始しています。合格と共に全く違った人生、生活を送ることとなっています。令和元年より土地家屋調査士の全国統一研修が始まり新しい生活を送っています。土地家屋調査士の先輩方々は大変親切で実務の勉強を教えてくれます。また、令和元年の行政書士の試験もチャレンジしました。独学でしたが、おかげさまで合格できました。 4 月からは二つの事務所を運営していきます。勉強には年齢は関係ないことを自分自身で感じました。人生100年時代、65歳で会社の定年を向かえても、それからもう一度新たな人生を切り開いていくことが出来ます。50代の方々で、どうしようか考えている方は是非挑戦していただければと思います。
文末になりますが添削、事務手続きをしていただいた方々にお礼を申し上げます。また、最終面接で名古屋の東京法経学院の模擬面接をしていただいた講師先生、金沢の説明会にお声をかけていただいた事務の方には改めて御礼申し上げます。