【序章】
「ヨッシャー!!!!」
現場から会社へ戻る車内で合格を知った。こぶしを天に突き上げ、天井に強くぶつけた。
それぐらい嬉しかった。
3 回目の受験だった。それなりの苦労はあった。
私は平成元年生まれの34歳、2 人の子供( 5歳、1 歳)がおり妻はフルタイムの仕事(看護師)をしている。朝は出勤前に子供2 人を保育園へ送り、妻が夜勤や遅番の時は子供をお迎えに行く。
帰宅後はご飯を準備して、お風呂に入れて,21時には寝かせて、一緒に寝てしまう。
「起きて勉強したいけど寝てしまう!勉強する暇ないやんけー!」勉強時間を確保するのにとても苦労した。どうやって忙しい育児と仕事の中、勉強時間を捻出し合格を勝ち取ったのか記していく。
【勉強スタート編】
5 年前の転職活動中、不動産仲介業で何社か内定を頂いていたが、おかんに「あんた、土地家屋調査士目指してみたら?昔から手先を使うことが得意やったし、中と外仕事半々みたいやし、そもそもあんた営業に向いてない思うで。」と言われた。
俺はビシッとスーツを着てかっこよく仕事をすることに憧れがあったので、ショックを受けた。
「確かに同じ営業の仕事についても転職を繰り返すことになるかもしれへんな。」おかんの一言がきっかけとなり全ての内定を辞退し、土地家屋調査士を目指すことに決めた。おかんは俺と妹を育てながら独学で税理士資格を取得し、地元神戸で開業し活躍している。
2019年4 月都内の土地家屋調査士法人小島合同事務所で内定をもらい、実務を学びながら土地家屋調査士試験の勉強がスタートした。
午前試験はどうやら難しいようなので測量士補試験の受験を決めた。だがその年の測量士補試験は申込が過ぎていたので翌年受けることになった。
測量なんて初めてでわからないことだらけだったが、先輩方の丁寧な指導のおかげでなんとかやっていた。
現場から戻っても新人は手が空くことが多いので、先輩の東京法経学院の合格ノートを読ん
で、自分のノートに書き写していた。(書き写すだけで全然頭に入っていなかった。
ただの時間つぶしだったかもしれない。)
そんなこんなで、翌年、測量士補の試験に1発合格した。
※その年の測量士補試験は9 月、合格発表が
11月であった。
測量士補の合格を確認したのち、すぐに東京法経学院通信の合格カリキュラムヘ申し込んだ。
数日後大きな段ボールに大量の分厚い参考書類が届き、一気にやる気がみなぎった。
「1 年で絶対受かってやるぞ!」そう意気込んだ。
俺が事務所へ入社した年に、先輩2 人が土地
家屋調査士試験に合格していた。その内H.I先輩の勉強期間は1 年未満だった。
(H.I先輩の合格体験記は令和元年度試験合格者参照)
「やれば1 発合格できる試験なんだな」
受講料返金制度もあったし、俺も一発合格に憧れていた。
ただ、そのH.I先輩は東北大学に現役合格している強者であった。H.I先輩は東京法経学院の答練(通信)と過去問マスター4 冊セットのみで9 カ月ほどの勉強で合格していた。いわゆる天才の部類に入るのだろう。
俺はというと、神戸の偏差値50程度の大学出身である。
【勉強1 年目】
2020年12月に東京法経学院の新・最短合格講
座2021基礎(DL)に申し込んだ。
講義はオンライン受講、実戦答練は通学を選
択。内堀先生の生講義を受けてみたかったし他
の受講生にどんな人たちがいるのか気になって
いた。
1 ~ 3 月の平日仕事終わりはオンライン教材をひたすら受けた。1 回が2 時間半~ 3 時間ほどありかなり退屈した記憶がある。半分寝
ながら聞いていた講義もあると思う。たしか民法の講義。これが後々後悔することになる。「これも合格するためだ」と自分に言い聞かせ睡魔と闘いながら板書をしていた。
4 月からは答練が始まり東京校へ毎週末行き、午前中は試験、昼飯はいつも近くのファミマ、午後は解説講義を受講した。2 歳の子供を丸一日妻に面倒見てもらいながらの受講だった。俺が事務所へ入社した年に、先輩2 人が土地家屋調査士試験に合格していた。その内H.I先輩の勉強期間は1 年未満だった。(H.I先輩の合格体験記は令和元年度試験合格者参照)
「やれば1 発合格できる試験なんだな」受講料返金制度もあったし、俺も一発合格に
憧れていた。
ただ、そのH.I先輩は東北大学に現役合格している強者であった。H.I先輩は東京法経学院の答練(通信)と過去問マスター4 冊セットのみで9 カ月ほどの勉強で合格していた。いわゆる天才の部類に入るのだろう。俺はというと、神戸の偏差値50程度の大学出身である。
【勉強1 年目】
2020年12月に東京法経学院の新・最短合格講
座2021基礎(DL)に申し込んだ。
講義はオンライン受講、実戦答練は通学を選
択。内堀先生の生講義を受けてみたかったし他
の受講生にどんな人たちがいるのか気になって
いた。
1 ~ 3 月の平日仕事終わりはオンライン教
材をひたすら受けた。1 回が2 時間半~ 3 時
間ほどありかなり退屈した記憶がある。半分寝
ながら聞いていた講義もあると思う。たしか民
法の講義。これが後々後悔することになる。
「これも合格するためだ」と自分に言い聞か
せ睡魔と闘いながら板書をしていた。
4 月からは答練が始まり東京校へ毎週末行き、
午前中は試験、昼飯はいつも近くのファミマ、
午後は解説講義を受講した。
2 歳の子供を丸一日妻に面倒見てもらいなが
らの受講だった。「今年受からないと妻に合せる顔がないな」
と思っていた。
全12回の答練結果は前半EEEEEE、後半
DDDCDE。
前半は土地建物の問題を解いたことが無かっ
たため全く手が出ず。
後半は多少慣れてきて点数を取れるように
なってきた。
ただ、「上位を目指す!」と臨んだ全国模試
1 回目はC判定。
2 回目の模試もC判定。
「結構やばいな。」
答練後半でも好転しない判定に焦りを感じた。
焦っても仕方がないのでH.I先輩の助言に従
い、答練の択一式は3 周ほど、土地・建物は2
周回した。答練の復習に時間を割いた形だ。
答練に費やした分、過去問に時間を割けず、
択一式、記述式の土地・建物の過去問は1 周し
か出来なかった。
「本番で得意な問題が出ればきっと解ける!」
と10月の本試験に挑んだ。
結果は合格点まで9 点足らず不合格。試験後
はショックで放心状態だった。
毎週末の答練の講義、家族と遊びにも行かず
家で勉強した日々。
家族に、本当に申し訳ない気持ちで一杯だっ
た。
択一式は14問(35点)、記述式の土地は19点、
建物10.5点の合計64.5点。
答練の問題で鍛えられたおかげで土地の問題
で高得点を取れたのは収穫だったが、択一式、
建物はまだまだ上積みが必要だと感じた。
「来年は絶対に合格するから見ていてくれ!」
と妻に強く誓った。
だが試験後少し息抜きをしたくなり翌年の
1 月までは一切勉強をしなかった。
【勉強2 年目】
2022年は東京法経学院の実戦答練(通信)と
模試(会場)のみを受講した。通学は家族の負担が大きいため、でも場慣れ
したいから全国模試は会場で受講することにした。
基本的な学習は1 年目の講座でもらった六法、
合格ノート、過去問マスターを重点的に勉強し
基礎を固め、答練で実践的な問題に対応しよう
と考えた。
4 月から通信の答練が始まった。仕事が終わ
り、事務所の会議室を借りて2 時間半問題を解
き、封筒に解答書を入れ、郵送する。そのため
毎回22時をまわっていた。
体力的にも精神的にも疲労度が大きく、帰り
道はいつもふらふらだった。
答練の結果は、前半CCEBCD、後半CCCDC
C。
去年と比較するとEがCに、CがBに変わった
ような形。
「少しは実力がついているだろうか」「という
か、1 つもA判定取れてへんし!」
自分の実力の上積みの無さにショックを受け
た。
ただ、模試は2 回ともB判定だったので、本
試験までに毎日過去問を回せばA判定に近づけ
る、合格できると考えていた。
2 回目の模試後に第2 子が生まれ、家が賑や
かになった。
ただ、夜泣きがひどく8 、9 、10月の直前期
は睡眠時間、勉強時間の確保に苦労した。
勉強せずに寝てしまう日も多かった。だが朝
早起きをして1 時間勉強したりして、少しでも
時間を捻出した。
結果的に、過去問、択一式は
3 周、記述式の土地・建物H17以降は2 周、
H17より前は1 周出来た。
答練の択一式は2 周、記述式の土地・建物は
1 周出来た。
択一式はどんな過去問でも9 割方解けていた
し、書式もどの問題でも20点以上は取れていた。
答練で毎回図面を丁寧に書いていたので図面を
書くスピード、正確さ、丁寧さも身についていた。
「今年こそ絶対に合格や!」
そう意気込んで臨んだ10月の本試験。結果、
択一35点(14問)
「去年と一緒。いや、今年は平均点高いから
実質去年より点数下がってる!」
その年は択一式の満点が200名程おり択一式
が簡単な年であった。
基準点は15点なので、足切り。記述式の土
地・建物の採点をしてもらえなかったのだった。
事務所の年上の後輩キクリンは勉強1 年目に
して択一式18問取っており、とても恥ずかしく
て自分の点数を言えなかった。
分析すると、民法が3 問全て×。土地家屋調
査士法も×。わからなかった問題2 問。
いつもなんとなく解いていた民法がここにき
て弱点として露呈してしまった。
「俺、民法は知識でなく感覚で解いていた」
そう感じ池袋のジュンク堂へ駆け込み、司法
書士の参考書として有名なオートマシステムを
探した。民法は3 冊ありⅢは権利の内容が多
かったが、本試験とまったく同じ穴埋め問題を
発見し、迷わず3 冊購入した。
試験後息抜きをしたくなりがちだが、民法を
克服するべく10月後半、11月12月はひたすら民
法の勉強に費やした。本試験後ほぼ休まず勉強
は継続していた。
【勉強3 年目】
「もう勉強にお金をかけてもあんまり意味な
いかも」
なぜか直感的にそう感じた俺は、答練は申し
込まず、模試(会場受験)のみを申し込んだ。
「基本は六法」内堀先生のおっしゃる通りに
勉強してみよう。
「過去問を解いたら六法を引く。時間がかか
り手間だがこれが一番効率良い。」
正直、これまで六法はほとんど引いて勉強し
ていなかった。
なんといっても六法は読みづらい。調べるのが面倒だし、小さい文字がぎっしり書かれており読む気がおきない。
よくひっかかる問題の条文を調べてカラーペ
ンで線を引き、フセンを数個つけている程度
だった。
7 月からは第2子も保育園へ通うし、妻は仕
事に復帰する。それまでにいかに六法の知識を
蓄えるかがカギだった。
択一式は隙間時間に解く、家に帰ったら六法
を引く、記述式の土地・建物はどちらか1 問毎
日解く、図面も毎日書く。そんな日々が始まっ
た。
最初は本当に苦しかった。
朝夕の通勤電車は六法をまとめたノートの読み込み。片道15分しか乗らないが貴重な勉強時間だった。
仕事中の電車移動や車の助手席で少しでも時
間があればまとめノートを読んだ。
仕事が終わって子供をお迎えに行き、ご飯を
与え、風呂に入れ、寝かせる。2人とも寝たら俺だけ起きて記述式の土地・建物の問題を解いた。
図面は毎日書かないと衰えるし、座標計算も3 日怠ると電卓入力スピードが遅くなり解答時間が長くなるからだ。
時々長男が起きてきて「パパと寝たいー」と
駄々をこねられたが心を鬼にして勉強を優先し
た。息子は泣きながらソファーで寝ていた。
書式の問題をさぼる日もあった。代わりに土
日休みで記述式の土地・建物4 問解いたりした。
不安のある問題はすぐに六法を引いた。
みるみる六法がカラーペンとフセンまみれに
なった。
六法は大きくて持ち運びにくいからよく間違
える条文、過去問に頻出の条文は全てまとめ
ノートに書き出した。
1カ月ぐらいすると同じ箇所で六法を引いてい
たことに気づいた。「問題は違うけど、この不動産登記法の同じ
知識が問われていたのか」
そんな問題がちらほら出てきて、それまでバ
ラバラだった知識の点が一つの線につながって
いくような感覚を覚えた。
そうなってくるともう勉強が楽しくなってくる。
「結局、この条文が理解できていないだけ
だったんだ」
六法を学習することで自分が理解できていな
い条文がはっきりした。
まとめノートは毎日読んでいたから条文は暗
記しているようなものだった。
不思議とあんなに嫌だった六法がスラスラ読
めるようになってきた。
土地家屋調査士法も読み込めば1 発で過去問
の違和感に気づけた。
朝食を食べながら六法を読む、そんな朝。ス
テキ。
慣れなのか、不動産登記法が頭にインプット
されたのかわからないが、択一式の問題、付随
して土地建物の問題も難なく解けるようになっ
ていった。
そして5 月20日の1 回目の全国模試。
「この模試でA判定が出せなければ今年の試
験も落ちる」
本試験に挑むような心構えで模試へ臨んだ。
択一式が30分で解けた。土地の座標値を出せ
て全部記入出来た。建物も全部書けた。15分ほ
ど時間が余り、見直しをしっかり出来た。初め
て模試でこんなに手ごたえがあった。
結果はA判定。404人中46位。はじめて上位
に名前を連ねた。
「これがA判定の実力か」
今までの俺は出来ているつもり、理解してい
るつもりで生半可な知識を蓄えているだけだっ
た。「1 番基本的な六法の知識でこんなに違うも
のか」と驚いたものだ。
だから、過去の答練はほとんど復習していな
い。
7月の2回目の模試は子供が熱を出してしま
い看病のため、受講出来なかった。
でも、模試はあくまで目安、本番はあくまで本試験と気にせず勉強に励んだ。
(模試後の択一式の勉強法)
ネットに年度別の問題があるのでH17以降は
全て印刷し本番と同じようにホッチキス止めを
し、時間を計りながら本番さながらに解いた。
問題別に解くと前の問題の解説を読んでしま
い次の問題に影響が出るからだ。
間違えた箇所はすぐに六法を引いて、まとめ
ノートに記入する。
まとめのノートを読むと、何回も同じ間違い
をしていることに気づく。
「もう2 度と間違えない」と何回も読む。寝
る前と朝食時に六法も読む。
家ではスマホ、テレビ禁止。趣味のゴルフ禁
止。代わりに六法を見る。
毎日見ていたTwitter、インスタグラムは削除した。(合格後すぐに復活させたが。)
まとめノートには何年度の択一式を何分で解
いて何問正解だったかを全て書き出した。
20問満点になるまで繰り返し解いた。
最終的にどの年も20分ほどで9割解答出来るように
なっていた。
(書式の勉強法)
H17以降の回答用紙を全て印刷し本番さなが
らに解いた。
直前期にはH17より前の問題の申請書をひと
しきり確認した。
これが今年の試験でヒットした。
おそらく多くの人はH17以降の過去問を解け
ば十分と考えていると思うが、昭和の過去問申
請書は最近の問題に無い内容が記載されている
ことが多い。
今年の建物の登記申請書を難しいと、いくつ
かの予備校は答えていたが、私は何なく記入す
ることが出来た。建物図面・各階平面図も完璧
に書けた。H17年以降の問題ならどれでも、土地なら50
分以内で20点、建物なら40分以内で20点以上は
得点できる状態になっていた。
(試験に臨むにあたって)
勉強時間の捻出には今まで生活で使っていた
自分の好きな時間、自由時間、趣味の時間、家
族の時間全てを犠牲にしました。
ただ、土日の午前中は子供と公園に行って遊
んで息抜きをしました。
「必ず土地家屋調査士になって稼ぐ」
毎日念じました。ノートに何回も書き出しま
した。
独立開業したら頼れるのは自分だけです。不
動産登記法ぐらい理解していないとお客様に説
明できません。開業した自分をイメージしたら、
勉強として六法を読むのではなく、日ごろの
ルーティンワークに六法を読むことが組み込ま
れました。ごく自然に、当然のこととして。
そ
れだけ勉強しても、試験本番は必ず手が震えま
す。
図面を書く時も震えました。深呼吸をして
「必ず合格する」と何度も何度も念じて試験問
題を解きました。
結果的に20分ほど時間が余り見直しを十分に
できました。
ただ、土地の問題で誤って2 筆分筆していま
した。申請書の地積と地積測量図が壊滅でした。
でも、その他の部分点で17.5点を取れたので、
わからない箇所も必ず埋めることが重要だと思
います。結果的に建物は17.5点、択一式は16問
の40点、合計75.0点でした。
※合格点は72.0点以上
「あきらめなければ必ず道は開ける!」
さあ、次はあなたが土地家屋調査士になる番
です。